私は、極ホームシックの中で「歌のパワー」に沢山助けられました。
歌は、今も昔もいつも私たちの生活の中にあって、
元氣付けられたり、一緒に泣いてくれたりしますよね。
ホームシック極まりない時、私は沢山、本当に沢山日本の歌を聴きました。
特に若い頃に聞いた曲には、涙を誘われるというか、
ノスタルジックになるというか、それはそれは心を動かされるものです。
沢山の歌を聴いているうちに、だんだん童謡が歌いたくなって、
子供の頃にちょっとだけかじったギターを引っ張り出して、
ポロリンポロリンとそれを弾きながら、
小さい時に好きだった童謡を沢山歌いました。
※私の極ホームシックっぷりがうかがえるかと思います。
何度も何度も歌っているうちに、歌詞の情景が心に届く様になって、
わー、綺麗だなーと感心しっぱなしでした。
少し調べてみると、童謡の多くは明治から大正にかけて、
当時の人たちが日本人の心を忘れない様に、
と歌に思いを込めて作られたものなのだそうです。
童謡の歌詞って、春だったら、花とか(春のうららの〜)、
夏だったら海(海は広いな大きいなー)とか、
自然や季節の事を歌ったものが本当に多いんですよね。
童謡の中に景色があって、色があって。
当時の日本人にとって自然や季節がとっても身近で大切なものだったんでしょうね。
例えば百人一首は恋バナ満載ですし、平家物語は無常感ビンビンですし、
歌や物語には、その時代の人情模様がはっきりと反映されるのだと思います。
※平安時代って恋で出来てたんでしょうか。羨ましいような、面倒くさいような。。。
童謡を歌うと、私はなんだか、その古き良き日本の景色の中に
タイムスリップした氣持ちになります。
歌詞の情景が心の中にぱーっと浮かんで、
とっても綺麗で氣持ちがいいんです。
言葉も綺麗だし、色彩豊かというか、かぐわしいというか。
歌から、色やら風やら笑い声やら、色々なものが飛び出てきます。
2年くらい前、日本帰国中に95歳のおばあちゃんを訪ねた時5月の頃、
おばあちゃんがよく晴れた山を見ながら、
「夏もちーかずくはーちじゅうはちや♪」って歌い出したんです。
それで私と、そこにいたお母さんもつられて一緒に
「野にも山にーもわーかばがしげる♪」って女3人で「茶摘」を楽しく歌い、
歌い終わって3人でケタケタと笑いました。
とってもいい思い出です。
「茶摘」は立春から八十八夜目を歌った5月の頃の歌で(後で調べました〜)、
おばあちゃんにとって、その季節に歌う歌だったんだと思うんです。
私は今も、茶摘を歌うと、あの時の氣持ちが蘇りますし、
これからも茶摘を歌う時は、きっとおばあちゃんを思い出すと思います。
おばあちゃんにおかあさん、私に、多分私たちの次の世代や
その次の世代の人たちまで、みんなが一緒に歌える歌って
すごいなーーーーー!と思います。感動です。
歌い継がれる歌にはなにか心を掴まれるものがあって、
そしてそこに個人的な思い出が寄り添って、歌がさらに豊かになっていくのを感じました。
日常に溢れる歌だけでなく、祝詞やお経など、
歌を通して文化や教えを受け継いでいくというのは、
日本だけではなくて、世界中で伝統があるそうです。
お水に「ありがとう」と心を込めて言うと、
水の結晶が綺麗に出来るという江本勝さんの有名な実験がありますが、
歌はメロディーとの相乗効果で、その歌に込められた想いや、
歌い手の想いがよりダイレクトに伝わる様に思います。
頭ではわからないけど、心にダイレクトに届く力。
今も昔も世界中にある「歌のパワー」です。
最後に、日本につながりたい時にいつも歌う、
「富士山」について私の恋心を書かせてください。
どこにいても、何があっても「富士山」を歌うと、
私は日本に、富士山につながる事が出来ます。
そして、どんなにクヨクヨ、しょぼしょぼしてても、
よーし、もう一日がんばるぞ!という氣持ちにさせてくれます。
この歌には色々思い出があって、私にとって、とっても特別な歌なんですが、
それはさておき、富士山は今も昔も日本人にとって、すごく特別な山ですね。
大きなビルや電氣のない時代は、
本当にとおーーーーくから富士山が見えたんだと思います。
まさに日本人の心。
綺麗で、どーんとしていて、それでいてたおやか。
雪化粧も美しく、笠雲姿も格別。春夏秋冬、その姿にそれはそれはうっとりです。
富士山を歌う時は「富士山、大好きです。これからもずっと好きです。」
という氣持ちを込めて歌います。富士山に届いていて欲しいです。
最後の最後に、私は、歌を作る、歌う全ての人に感謝します。
歌を通して思いを伝えてくださる、
想いをつないでくださる全ての人に感謝します。
私は歌に、毎日助けられています。
愛を込めて。
きょうこ