私の家のご先祖さまスペースは、竹の鉢植えです。
日本でご先祖様にご挨拶といえば、普通、仏壇に向かってお線香をあげる事だと思います。そして神棚にはお酒やお米をお供えして手を合わせる。ご先祖様を祀るには仏壇、神様を祀るには神棚ってとっても自然な事ですよね。私の生家にも仏壇と神棚がこれ当然とありました。
私は神様や仏様とは無縁の若い頃を過ごしましたので、仏壇や神棚は古き良き日本文化としてご縁がある方が祀るものと、距離を置いてきました。
歳を重ねて、神秘体験があったりして、ご先祖様や神様が身近に感じられる様になってからも、中々どうしていいやらわかないまま時を過ごしました。神社仏閣を訪ねた時の清らかな氣を思うと、神棚や仏壇を家に構え、皆様をお招きしたいと思うのですが、どうしても抵抗が先に立ちました。
なんでなんだろう、本当の私は神様や仏様に家に来て欲しくないのかな?と悩んだ事もあります。でもどうしても興味があったので、とりあえず他の文化のご先祖様スペースを見聞きしたり、ご先祖さまを大切にする方のお話を聞いたり、神様が祀られる場所を訪ねたり、森の中の神聖な場所を探したりして、何が共通していることで、何がその場所を生かしているのか、などしばらく研究をしました。そして、神棚や仏間の在り方は本当に様々なのだな、という事に氣がつきました。
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神道や仏教がまだ日本に来ていなかった、ずーーっと昔まで戻ると、ご先祖さまや神様の降りる場所にはルールはなかったんだろうな、と思います。昔の人は波動の高い場所や、氣の良い場所を無意識的に感知して、そういう場所に神様の場所を作ったと言われています。木や石に神を見て、丘にご先祖さまを見た。そうしているうちにそういう場所が聖地になって、沢山の人が訪れる様になり、やがてお社が立派なものになっていったのかもしれません。
ルールは人が作ってきたものです。だからといって無視して良い訳ではありませんが、何を信じるか、その信じるものをどうやって迎え入れるか、と言うことは、根っこまで戻ると、個人個人違うものではないのか、と思うのです。アートなのではないかと思うのです。
仏壇や神棚を否定している訳ではありません。神社仏閣は、沢山の方の叡智によって長い間育まれてきた結晶の様なものです。一つ一つに意味があり、伝統に従う美しさがありますし、神様も仏様も嬉しそうに、誇らしげにいらっしゃる様に私には見えます。ただ、私は自分なりのやり方でやってみる必要がある、というだけのことです。
神様が喜んでくれる場所ってどんな場所か。
お供物ってどういうことなのか。
どうやったらご先祖さまやが訪れたいって思ってくださるのか。
何をすると氣が乱れるのか。
どうやって、生きた祭壇を継続するのか。
など、質問だらけ。
今でも質問だらけで研究の日々ですし、30年後には回り回って神棚と仏壇に行きついているいるかもしれません。それでも良いんです。何にも考えずに信じるより、自分なりのトライアンドエラーを通して、何かに行き着く方が私向きなんです。
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冒頭にも述べましたが、現時点の私のご先祖さまスペースは、竹の植木鉢です。
は??って思われるかもしれませんが、私の先生の教え(ご先祖さまスペースは大きな木の根元がおすすめという事。)と、今の自分のスペースでできる事を組み合わせ、やってみた結果で、過程です。
ここでご先祖様にお供物をして、お祈りをすると、皆さん遊びにいらっしゃってくれる様に感じます。そして「今はこの形ですが、これからも変わり続けていきます。どうか一緒に美しい場所作りを続けさせてください。皆さんのご意見を聞かせてください。ご先祖さまとのつながりがより深く健康なものとなっていく様、変わり続けます。」と、お伝えしています。
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仏様や神様とのつながりが深く、その形が心に沿うものである方が沢山いらっしゃると思います。純粋な思いは届きますので、どうか愛の言葉を伝え続けてください。また、私の様に、既存の形がしっくりこない方もまた沢山いらっしゃると思います。その場合は、ご自分なりのスペースを研究して、ご自分なりのやり方でご先祖さまや神様をお迎えしてください。そして、もし質問や疑問があれば、遠慮なくご連絡ください。みんなで協力して、目に見えない世界とのつながりがより愛に溢れ、生命に満ちたものになっていく様、心から祈っています。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
愛を込めて。
きょうこ
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